衆議院が解散となり、総選挙となる事が決まりました。
連日の報道では、政権政党の枠組みが大きく変化し、新しい政党が生まれる代わりに消滅して行く政党も出てくる気配です
私自身が政治の仕事を地方議員として担わせていただいている身で、客観的に物を言う事を少し申し訳なく思うのですが、国会議員の仕事をされている方たちが、国を想い、国民を想い、どれだけの骨身を削りながら仕事をしているのか?
感じられなくなっているのは私だけでしょうか?
少し前まで 国会議員の事を 「国士」 と読んでいた時代がありました。
国士と言う言葉は、いかようにも取れる言葉なので誤解を恐れずに言いますが、
国会議員とは、身命を投げ打ち国事を憂い奔走する人物であるとの思いを私は持っていました。
夫の忠兵衛も数年間、衆議院議員をさせていただき、毎週東京と奈良との往復を続けていたことがありましたが、その時々にぽつりと漏らす言葉に胸が痛むことが何度となくありました。
「みんな誰も国のことなんか口にもしない」
「みんな選挙のことばっかりや」
「今から地元に帰るけど、嫌やなあって口にする議員がいる」
東京での顔と地元での顔を、国会議員の方々は使い分けをしていたのでしょうか?
今年 私自身も改選となり2期目の当選を果たしましたが、上がってみれば議会での環境には大きな変化があり試練として受け止めて頑張るしかない状況がありました。
そしてこだわったのが 保守系無所属 という立場です。
政党に属すると多くの形で守られる事が増えますが、また自由な考えや発言が出来なくなる事もあり一長一短があります。無所属にこだわっていることで、守って頂いている政党はありませんが、地元を強く思い、奈良市民全体の事を大切にする仕事をして行きたいと思っています。
きっと 地方議員でも国会議員でも根っこはここから始まっていたのだと思います。
国を思うか、
奈良市を思か、
国民を思うか、
奈良市民を思うか、
大差はありません。
忠兵衛は、議員としての根っこを奈良市の為に働かせていただきたい、と皆様にいつの時もお願いをして選挙をしていました。
その想いを私は今も大切にしていきたいと思っています。
図らずしもこの解散・総選挙でいきなり希望という文字が躍り出してきましたが、本来希望という言葉が持つ意味をしっかりと国民に指し示していただき、この国政選挙そのものが国民にとっての明るい未来への兆しとなるようにと願っています。
鍵田美智子