会派で、勉強会の開催がありました。
6月議会の開催に先立ち、あるテーマに沿っての話しから、奈良市制の成り立ちにまで話しが遡りました。
1898年2月1日、待望の市政が実施された日なのですが、この当時は人口が2万9千人で市政の施行を促進する為の調査委員に鍵田忠次郎さんの名前もありました。
現在の市庁舎の移転にあたっても当時の議会に提出された移転趣旨説明には鍵田忠三郎の名前があり今よりずっと丁寧な議事が進行していた事がよく分かりました。
現在の市庁舎の場として選ばれた理由は「新平城京のまちづくり」の都市軸としての役割を果たす為であり、この地が選ばれた事に感銘を覚えました。
平城京の繁栄を今に再現しようとする鍵田忠三郎市長が思い描いた街づくりの構想は、現在の都市基盤にもなってはいますが、都市の形は変わっても心は受け継がなければ先人達に申し訳がない気がしています。
現在、奈良市長はならまちに置いても、降って湧いたかのような「ならまちにぎわい構想」の中で昨年から多額の予算をかけて着手されています。
その陰には問題が沢山隠れています。
本来なら、平成4年にも「ならまちにぎわい構想」があり、途中で頓挫した事を考えると、この構想を精査して現在に整合性を合わせるべきだったと思います。
言葉だけではない明確なビジョンがあって初めて奈良市のグランドデザインが描けると思いますが、先人達が作ってきた奈良市を丁寧に扱わないと、今だから大切に作っていかないといけないと思います。
行政は予算に全ての姿が見えてきます。
私は、今回も多くの事を見逃した事に気がつき始めています。
なので、所属の委員会を動いて、気がついたことには責任を持って発言をしていこうと考えています。
議員は、市長と39対1で向きあっていますが、市長の後には4000人の職員が控えています。
太刀打ちが不可能な事は、本当に多くあり、言い方を変えれば、とてつもない権限が市長にはあります。
そのストッパーが私達、議員です。
その役割が果たせなければ失格です。
3月の予算審議から、3か月が経って、また自分の責任が果たせていない事に気がつきました。
改選には大きな覚悟を持って臨みたいと思います。