桜の開花と共に 奈良県下でも統一地方選が知事選挙を皮切りに始まっております。
しかし、大変な静かな空気だけを感じているのは私だけでしょうか。
4月3日は、県会議員選挙の火ぶたが切って下ろされますが、4年前 鍵田が候補者として奈良市内を駆け抜けて、お願いしたことを昨日の事のように思い出します。
あの時、鍵田は 「裸になって出直したい…自分の原点に一度戻りたい」と考え、県会議員選挙に立候補を致しました。
自分の手で解散した後援会や友人からは、何故、衆議院議員や市長まで経験した人間が県会議員選挙の戻るのかと、お叱りを受け、ご理解を頂けなかった方も多くおられました。
結果は、奈良県下の候補者の中でも得票数で1位を頂き、大きな自信を取り戻すきっかけを奈良市民の皆様から頂きました。
今もって、あの時、一番苦しく、精神的に追い込まれていた鍵田忠兵衛を信任して下さった方々に深い感謝を覚えます。
今、私は鍵田のいない時間を過ごしてはいますが、私の見ている物事は、鍵田の想いをスライドして考え、判断していければと考え生きています。
2年前に奈良市の市長選挙があった時、また、その前の補欠選挙の時も 鍵田の遺志を口にされる方々がいましたが、鍵田は誰も後継者を指名することなく逝きました。
私も、今 市議会で仕事をする機会を皆様から与えて頂き、日々働かせて頂いていますが、政治家が後継者を指名したり、指名されたりは 政治家のエゴのように感じています。
議席は、市民から選ばれ、望まれて、初めて頂けるものであり、誰かから誰かへ渡したりするものではなく、たとえ、もし 忠兵衛の娘が 政治の世界を志すような事があったとしても、娘自身が市民、県民の皆様の為にどの様に働かせて頂きたいのかを訴え、初めて理解される事だと考えます。
それから後は、市民の皆様の利益の為にだけ、働かせて頂くことが議員の務めです。
2年前は、ただのおばさんで、ただの女性であるだけの私に何が出来るのだろう?って、恐れおののくような思いもありましたが、議席を頂いた限り、言い訳をせずに ひたすら働いて、市民の皆様の立場に立った発言と目線を持って生きていかないといけないと、覚悟の日々で臨んでいます。
片山善博・慶応大法学部教授が「地方議会は学芸会」だと発言されたことがあります。
その真意は、一見 真剣勝負と見える議場での首長と議員のやりとりが、実は台本通りの猿芝居という意味です。質問がおぼつかない議員の為に、役人が代書をしたり 調査をしてもいないのに政務活動費を支給されたりと恥ずべき慣行が露見し、政治不信に拍車がかかるような事も昨年は多くありました。
片山氏の発言にも一理ありますが、私自身は認めるつもりはありません。
議員の中にも それぞれの場所で真剣に働いている方もいるからです。
議員一人一人が、職責を全うし、市民の皆様の為に働くには、今回の選挙でも有権者の皆様が、候補者の人格と見識をしっかり見極め、教育や福祉、地域振興、等の考え方を聞かなければ、何も答えが見出せないし、そこが一番のスタートの場所でもあります。
地方選挙は、国政選挙と違い、顔見知りあり、なじみあり、義理や人情の世界もありますが、自分の信じる正しい判断を行使できる唯一の機会です。
真っ直ぐに ご自身の判断を信じて下さい。統一地方選が無投票である事が、過去最高の可能性もあり得るとの予測もされていましたが、投票しなければ、何も始まらないし、何も変わらないではありませんか。
この国に生まれ、奈良の地で生きている事に感謝し、自分の持っている権利に感謝し、私は、投票所に足を運ぶつもりでいます。