昭和30年〜40年代に閉鎖をした一般廃棄物最終処分場の埋め立て地が、現在も中の川にあります。そして、浸出水を曝気方式で塩素滅菌した後、佐保川へ放水しています。日本が高度成長期に入ろうとしていた時、奈良市も人口増加が著しく それに伴い生ゴミも最終的に深い谷へ埋めてしまうという、今では恐ろしい解決方法を取る事になりました。そのツケを今でも払わされているのは、当該地元です。そして、およそ1キロ先がクリーンセンター建設移転候補地と決まりました。およそ10年の間を移転問題だけで終始し、ゴミ問題に対する意識や解決を探る話し合いを全市的にした記憶は私自身はありません。エネルギー問題やリサイクル問題を議論するように自分達が出すゴミに対して、意識を少しでも向ける話し合いをする事が 1番大切な事だったのではないでしょうか?崖を下り、田畑を横切り、自然が泣き 里山が悲鳴を上げている気がしました。私自身も目を向けて来なかった、見なければならない奈良市の闇の部分です。
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