今月の報告

平成28年 2月に思う事
【鍵田忠三郎 奈良市史】

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 年が明けて、いきなり無我夢中に近い状態で走りはじめ気がつけば月の変わっていたことも、この2月に思う事を書くことにより思いだした有様でした。
 
 自分の心が落ち着いていない事の証明がもう一つ、最近、役所まで自転車通勤を始めていたのですが、帰りを急ぐ余り、車と車の間を縫って車道を渡り思いっきり交通違反をしていました。自分の中の法令遵守の感覚を根本から見直さないと とんでもないことになると、今一度普段の自分の心の落ち着け方も含め猛省しながら 少し落ち着いて日々の暮らしを送ろうと考えています。
 
 1月は、日本列島を大きな寒波が襲いましたが、 市民環境委員会に提出されている新斎苑建設基本計画案の質問準備もあった事から、当該地域の一番寒い時の状況を知りたくて何度か、足を運ばせて頂きました。新斎苑建設候補地のおよそ300m下の八坂神社付近では、地盤沈下、道路のひび割れ等、現時点での不安や心配な状態での暮らしを余儀なくされています。現在 奈良県が、新斎苑建設候補地に近い個人住宅の敷地内で擁壁工事をし、地下水を抜く水抜きパイプが設置され、定期的に監視をされています。
 
 奈良県では、全県下で土砂災害警戒区域等のイエローゾーンの見直しをされている最中でもあった事から、早速情報を県側にお知らせしました。私は行政が大きな都市計画をして行くには、日々の暮らしの中で住民が不安を抱えている問題を解決していく姿勢をきちんと見せないと、住民の協力が得られるものではないと考えています。
 
 1月31日に鹿野園地区では、市長、副市長が出席する集会がありましたが、その席上、地元の方々は たくさんの懸念を発言されております。集会では、若い世代が率直に暮らしの中での道路の狭隘について不安を口にし、長くお住いの古老の方々は歴史地区にお住まいの大切な気概を口にされていました。
 
 その地に 奈良市は 新斎苑建設基本計画案を示されたのです。
 
 合併特例債の期限もあって、この計画に対して残された時間は刻々と少なくなっていますが、それは奈良市の事情であって、本来 奈良市が行ってこなければならなかった事は、何故 住民がこの場所にと思う不信感に対して、納得のいく説明を真摯に重ねていく事であり、奈良市として、東山霊苑に対する住民の感情、火葬場に対する一般的な考え、意識を綿密に調査し、この点に重きを置いて円滑に運営している市町村のサンプルを調べて、市民の皆様に情報を開示するなど、やるべきことは多くあったはずです。

 今回、色々な資料を見ていくうちに 奈良市史 と言う本に出合いました。

貴重な文化遺産と千数百年の奈良の歩みを改めて再認識する事を目的とし、奈良の果たすべき役割を現代に見出すために 当時の奈良市長である鍵田忠三郎氏が奈良市史編集の事業に着手をされました。
 
 これまでにも何度か目を通していますが、昭和45年から編纂されてきた奈良市史の中で、都市計画に対する考え方が示されている箇所があります。
 
古都保存法特別地区
「平城宮跡をはじめ、幾多の古墳群、古社寺が奈良の山々を背景にして残されている姿は、歴史的・芸術的に極めて意義深く、世界に類のないものである。この歴史的風土の保存こそ奈良市民の最大の責務であり、都市計画においても第1に考えねばならない要素である。最初の審議会においても、風致を保存する上に最も重要な【緑】を残すためには、土地利用を出来るだけ限定する事が最も必要な条件であると考える」 と記されていました。
 
 また、先の鹿野園地域の古老は、出席理事者に市民憲章の冒頭には、どの様な事が書かれているかを質問されました。
 
市民憲章
奈良は日本のふるさと。
美しい自然と 優れた文化遺産を守り、
古都に住むものにふさわしい自覚と誇りに生きましょう。
  
その場にいる理事者は、どなたも答えられませんでした。
 
 現在の候補地は、県道名張線を挟んで確かに規制は外れる事になりますが、古老の方もまた、奈良市史が編纂された昭和45年の頃の先人の方々も 言わんとする事は、この想いを大切にしながら奈良を故郷を大事に守って欲しいという事なのだと思います。
 
2月10日に所属する市民環境委員会が開催されます。きちっと市民に寄り添って、行政は住民サービスの事業に努めるように、そのための質疑を市民環境委員会ではさせて頂きます。

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